「南洋材の値上がりは天井知らず」。インドネシアやマレーシアなど東南アジアの木材を扱う関係者は高騰する市況にあきれ顔だ。
この1年間で現地との成約価格は丸太で約2割、合板(コンクリート型枠用)で約5割上昇した。歴史的に見ると、インドネシアが1997年に丸太輸出の全面禁止を決めた「ウッドショック」ごろと並ぶ高値圏にある。
背景には、昨年から現地政府の方針で伐採規制が急速に強化されたことがある。これまで保護地区から闇ルートで大量に違法材を買い付けていたとされる中国が合法材を求め始め、丸太の争奪戦が激化してきた。
さらに、ここにきて「日本の輸入商社の行動も値上がりの一因」との声が目立ってきた。子会社に合板工場を抱える商社にとっては、丸太の高値より原料不足で工場の稼働が止まる方が痛手。工場の安定操業を重視し、高値でも買い付けることで、価格上昇を加速させているという指摘だ。
輸出業者との契約が決まらないまま船を送り込むことも多い。港頭在庫の枯渇で満船にするにも日数がかかる。「1日5000ドルの滞船料」(総合商社)を避けようと、価格を度外視して丸太集めに躍起になる商社もあるという。
現地の合板工場すら丸太確保に苦戦している。日本の商社が訪れても「暇を持て余してコンピューターゲームばかりしている」ほど。工場に入る警察の査察は厳しく、ラインを止めて丸太を一本ずつ点検する。数十年続いた合板事業から足を洗い、パームオイルの生産を始める事業者も増えてきた。
合板原料はここ10年で「脱南洋材」が徐々に浸透し、北洋材へのシフトが進んだ。足元の高騰や供給不安は南洋材離れを一層後押しする。ユーカリといった植林木や、木質繊維板(MDF)など代替素材への転換が加速しそうだ。
イリノイ州はコーンベルト地帯と呼ばれる農業の盛んな地域。今、この地域の農家はトウモロコシの豊作と需要増による価格高騰で収入が増加している。
農務省によれば、全米の昨年のトウモロコシ作付面積は3,142万haで拡大傾向が続いている。米国は世界の約4割を生産する最大のトウモロコシ生産国。コーンベルト地帯は全米の約8割を生産しており、この地域にはトウモロコシを原料にしたエタノール製造工場が集中する。政府は2012年に75億ガロンのエタノールを生産するという目標を掲げていたが、来年末頃には目標を達成しそうな勢いなのだそうだ。しかしこの量のエタノール生産には原料のトウモロコシが約711億トンも必要とされるため、多くの農家が大豆からトウモロコシ生産にシフトしているとのこと。
燃料として注目されているエタノールだが、米国でその原料の中心となっているトウモロコシは、当然食料や飼料になる。原料確保のためには飼料・食用とされていた分を減らすことになるため、それが価格高騰につながるとして懸念する声もあがっている中、それでもエタノールは新しいビジネスの種を探し続けるシリコンバレーで注目されつつある。
IT業界での成功者達は、環境対策にも熱心に取り組んできた。例えばマウンテンビューに本社を置く検索大手のGoogleは以前から環境対策に熱心で、ガソリン価格の高騰で大人気のトヨタのハイブリッド車プリウスの購入に補助金を出す、太陽電池を設置するなどの取組みを行っている。
マイクロソフトは、同じマウンテンビューにある同社社屋の屋上に太陽電池を設置して電力の約15%を得ている。本社のあるワシントン州と違いシリコンバレーは年間を通じて晴天が多いためにできることだそうだが、他にも公共交通機関の利用促進を図り、高度な給水設備で水の使用量を減らすなど環境対策に熱心だ。ビル・ゲイツ会長が出資する投資会社Cascade Investment社はバイオエタノール製造のPacific Ethanol社に8400万ドルを投資しており、やはりエタノールに対する視線が熱い。
当然、投資家達も群がり始めている。エネルギー関連の投資額は2005年の400億ドル強に対して2006年には倍の800億ドルを超えると見込まれている。エタノール生産には生産量以上のエネルギーが必要とか、実は新たなバブルなどといった懸念はあるものの、カリフォルニア州知事のシュワルツェネッガー氏が積極的なエネルギー政策をとっていることもあり、熱狂はしばらく続きそう。もしバブルなら、さしずめアルコールバブルといったところだろうか。本当だとすると、かなり悪酔いしそうだ。
日本では、大成建設や丸紅など5社が出資するバイオエタノールジャパン・関西が、大阪府に世界初の廃材を原料としたエタノール工場を完成させたことが報道された。年間1400キロリットルの生産能力を有し、2008年には4000キロリットルまで増産する計画というこの工場の木材発酵技術は米国から導入されているとのこと。農業の競争力が低い日本で農作物を原料にするのが非現実的であることは容易に想像でき、廃材等の利用は当然と言えよう。従って、ホンダが開発に成功したという稲藁等からエタノールを生産する技術などは極めて有望である。しかし、技術だけで十分ではない。
日本の環境関連技術では、リサイクル技術が優秀と言われている。技術高度化の背景には、廃品回収という住民一人一人が取り組む社会活動があったように思う。日本では道路わき等に雑草が茂っている様子があちこちで見られるが、開発された技術にはこうした雑草を原料としてエタノールを生産できる可能性がある。廃品回収と同じやり方で雑草を回収し、環境美化とエネルギー対策を同時に実現することも可能になるはずだ。
技術開発やビジネスに酔いしれるだけではなく、昔から地道に取り組まれてきた社会全体で支えるリサイクル活動が、日本の根幹となるエネルギーをも支える、そんないかにも日本的に思えるエネルギー対策というのも、環境保護運動としては面白いかもしれない。
日銀が新たに導入したのは
2009/1/22
日本銀行が年度末に向け、企業の資金繰り対策を本格化させた。8日には市場金利よりも低利な年度末越えの資金を金融機関に貸し出す入札を新たに実施した。日銀はこの資金が企業への貸し出し増につながることを期待するが、市場の見方はさまざまだ。
日銀が新たに導入したのは、14日から4月3日までの約3カ月間、資金を貸し出す「企業金融支援特別オペレーション」(特別オペ)。金融機関は社債やコマーシャルペーパー(CP)など、日銀に差し入れた担保の範囲内なら金額に上限を設けず、年0.1%の金利で借りることができる。「3カ月物の市場金利は無担保で0.5~1.2%なので、かなり低い金利で供給することになる」(東短リサーチの飯田潔上席研究員)。メガバンクや地方銀行、外国銀行、証券会社など56社が応札する資格を取得。今回のオペで1兆2248億円を供給することが決まった。日銀は3月中旬まであと5回の特別オペを実施する予定で、計3兆円の資金供給を見込む。
米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)後、企業は資金調達のためのCPの発行が難しくなり、金融機関への融資申し込みが殺到。銀行の貸出残高は16年ぶりの高い伸びを示している。日銀は年度末には資金需要がさらに高まるとみて、通常の資金供給オペを増やしたほか、昨年12月上旬に特別オペの導入を決定。同下旬には利下げとともに、CPを直接買い切る方針も打ち出した。
特別オペの効果について、第一生命経済研究所の熊野英生・主席エコノミストは「政府が手がける信用保証でカバーされない大企業などへの融資増につながる。市場全体の金利を押し下げる効果もある」と評価する。
日銀が新たに導入したのは、14日から4月3日までの約3カ月間、資金を貸し出す「企業金融支援特別オペレーション」(特別オペ)。金融機関は社債やコマーシャルペーパー(CP)など、日銀に差し入れた担保の範囲内なら金額に上限を設けず、年0.1%の金利で借りることができる。「3カ月物の市場金利は無担保で0.5~1.2%なので、かなり低い金利で供給することになる」(東短リサーチの飯田潔上席研究員)。メガバンクや地方銀行、外国銀行、証券会社など56社が応札する資格を取得。今回のオペで1兆2248億円を供給することが決まった。日銀は3月中旬まであと5回の特別オペを実施する予定で、計3兆円の資金供給を見込む。
米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻(はたん)後、企業は資金調達のためのCPの発行が難しくなり、金融機関への融資申し込みが殺到。銀行の貸出残高は16年ぶりの高い伸びを示している。日銀は年度末には資金需要がさらに高まるとみて、通常の資金供給オペを増やしたほか、昨年12月上旬に特別オペの導入を決定。同下旬には利下げとともに、CPを直接買い切る方針も打ち出した。
特別オペの効果について、第一生命経済研究所の熊野英生・主席エコノミストは「政府が手がける信用保証でカバーされない大企業などへの融資増につながる。市場全体の金利を押し下げる効果もある」と評価する。
— posted by サイト管理者 at 06:13 pm
捜査関係者によると
2009/1/9
愛知県幸田町で昨年7月、同町菱池、会社員原田留美さん(当時36歳)が刺殺された事件があり、県警は原田さんの元交際相手でブラジル国籍の同県岡崎市上地、自動車修理工サカモト・アドリアノ被告(35)(詐欺罪で起訴)を6日午後に殺人容疑で逮捕する。
捜査関係者によると、サカモト被告は同月17日未明、乗用車助手席に乗っていた原田さんの胸など十数か所を刃物で刺し、殺害した疑いがもたれている。サカモト被告は容疑を否認しているという。
県警は、サカモト被告が犯行時、ブラジル国籍の派遣社員女(31)(同)とも交際していたことから、原田さんとの交際トラブルが殺害の動機になったとみている。原田さんは当時、妊娠7か月だった。サカモト被告は「車から出てきた3~4人の男に路上で襲われ、原田さんが刺された。自分はバットで殴られて気を失った」などと説明していた。
中国広州市で、4歳の女児がバラバラ遺体となって発見される事件があり、警察は6日までに、30歳代で失業中の隣人の男を、殺人の疑いで拘束した。 警察は、男が女児の遺体を食べた疑いがあるとして調べている。女児宅の周辺ではほかにも、幼児の行方不明事件があり、地元メディアは、「連続食人事件」との見方を伝えている。
広州日報によると、女児の遺体は男の部屋の冷蔵庫に隠されており、2日、捜索中の警察官が発見したが、遺体の一部は見つからなかった。
捜査関係者によると、サカモト被告は同月17日未明、乗用車助手席に乗っていた原田さんの胸など十数か所を刃物で刺し、殺害した疑いがもたれている。サカモト被告は容疑を否認しているという。
県警は、サカモト被告が犯行時、ブラジル国籍の派遣社員女(31)(同)とも交際していたことから、原田さんとの交際トラブルが殺害の動機になったとみている。原田さんは当時、妊娠7か月だった。サカモト被告は「車から出てきた3~4人の男に路上で襲われ、原田さんが刺された。自分はバットで殴られて気を失った」などと説明していた。
中国広州市で、4歳の女児がバラバラ遺体となって発見される事件があり、警察は6日までに、30歳代で失業中の隣人の男を、殺人の疑いで拘束した。 警察は、男が女児の遺体を食べた疑いがあるとして調べている。女児宅の周辺ではほかにも、幼児の行方不明事件があり、地元メディアは、「連続食人事件」との見方を伝えている。
広州日報によると、女児の遺体は男の部屋の冷蔵庫に隠されており、2日、捜索中の警察官が発見したが、遺体の一部は見つからなかった。
— posted by サイト管理者 at 07:03 pm
本文はいわゆる変体漢文を主体としつつ
2008/12/27
概要
成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。
『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であり正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ
と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。
『古事記』に登場する神々が、多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えている。
[編集] 構成
『古事記』は、帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。
『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。
構成は、
上つ巻(序・神話)
中つ巻(初代から十五代天皇まで)
下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)
の3巻より成っている。内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。また数多くの歌謡を含んでいる。
なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。
[編集] 表記
本文はいわゆる変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルを取っている。一字一音表記の箇所には、まれに右傍に「上」「去」のように漢語の声調を表わす文字を配して、当該語のアクセントを示すこともある。いずれも、いかに正確にかつ効率よく記述するかで悩んでいた(序文参照)編者・太安万侶の涙ぐましいまでの苦心の跡である。歌謡部分はすべて一字一音表記で記されており、本文の一字一音表記部分を含めて、上代特殊仮名遣の研究に欠かせないものとなっている。
上代特殊仮名遣の「モ」の書き分けは『古事記』のみに見られるものである[1]。
[編集] 改竄説
『古事記』本文の記述以外には編纂の記録が直接は見当たらず、最古の写本も南北朝時代のもの(#写本を参照)であるため、それより以前の姿をそのままにとどめているかどうかに疑義を抱く改竄説も出されているが、考古学的反証も主張されている(#『古事記』偽書説も参照)。
[編集] 『古事記』の研究
『古事記』の研究は、近世以降とくに盛んにおこなわれてきた。江戸時代の本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追及であった。しかし「からごころ」排撃は、のちに国粋主義的皇国史観、神話の絶対化に変容されたとの見方もある。
第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。とくに倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっているが、それ以前に出された「古事記伝」の記述からすると恣意的な注釈があるとの主張もある。
20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては、津田左右吉や石母田正があり、作品論の代表としては吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。殊に神野志の『古事記の達成』は、それまでの研究史を革新したといってよい。
よく利用しています。
成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。
『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であり正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。
『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が
撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ
と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。
『古事記』に登場する神々が、多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えている。
[編集] 構成
『古事記』は、帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。
『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。
構成は、
上つ巻(序・神話)
中つ巻(初代から十五代天皇まで)
下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで)
の3巻より成っている。内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。また数多くの歌謡を含んでいる。
なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。
[編集] 表記
本文はいわゆる変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルを取っている。一字一音表記の箇所には、まれに右傍に「上」「去」のように漢語の声調を表わす文字を配して、当該語のアクセントを示すこともある。いずれも、いかに正確にかつ効率よく記述するかで悩んでいた(序文参照)編者・太安万侶の涙ぐましいまでの苦心の跡である。歌謡部分はすべて一字一音表記で記されており、本文の一字一音表記部分を含めて、上代特殊仮名遣の研究に欠かせないものとなっている。
上代特殊仮名遣の「モ」の書き分けは『古事記』のみに見られるものである[1]。
[編集] 改竄説
『古事記』本文の記述以外には編纂の記録が直接は見当たらず、最古の写本も南北朝時代のもの(#写本を参照)であるため、それより以前の姿をそのままにとどめているかどうかに疑義を抱く改竄説も出されているが、考古学的反証も主張されている(#『古事記』偽書説も参照)。
[編集] 『古事記』の研究
『古事記』の研究は、近世以降とくに盛んにおこなわれてきた。江戸時代の本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追及であった。しかし「からごころ」排撃は、のちに国粋主義的皇国史観、神話の絶対化に変容されたとの見方もある。
第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。とくに倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっているが、それ以前に出された「古事記伝」の記述からすると恣意的な注釈があるとの主張もある。
20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては、津田左右吉や石母田正があり、作品論の代表としては吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。殊に神野志の『古事記の達成』は、それまでの研究史を革新したといってよい。
よく利用しています。
— posted by サイト管理者 at 05:05 pm
壊れ易いが鋭い刃
2008/12/12
縄文時代の人々にとっては、植物採取が食料獲得の中で大きな比重を占めていたが、旧石器時代の人々にとってはどちらかというと狩猟が主体であったようだ。当時は数百kmにも及ぶ距離を移動していたというから、それは移動性のある動物の行動生態と関連しそうであるし、また彼らの道具を見ると、植物質資源の加工・処理に有利な頑丈なタイプの石器(削器や石斧)よりも、狩猟具に使いそうな先の尖った石器(有背石刃、尖頭器)や壊れ易いが鋭い刃(石刃、細石刃)のある石器というような道具が発達したからである。
[編集] 更新世(洪積世)の人類化石
日本列島は火山列島とも呼ばれるように更新世の火山噴火による火山灰が、瀬戸内、近畿地方を除く日本列島の大部分に降り注いだので骨を分解してしまう酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残る例がほとんどない。こうした中でもこれまで洪積世人類化石として知られていた例も多かった。しかし、C14年代測定法や再検討の結果、それらの多くが洪積世人類化石の地位を失い、静岡県の浜北人と沖縄県の港川人とが更新世人類とされている。
[編集] 浜北人
浜北人は、静岡県浜北市根堅(ねがた)の石灰石採石場で、1960~1962年に発見された頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・寬骨・脛骨)の人骨化石である。上・下二つの地層から出土した。それぞれの層からでた獣骨の年代を加速器質量分析(AMS)法による炭素年代測定での結果は、上層が約1.4万年前、下層出土の脛骨が約1.8万年前を示した。
[編集] 港川人
1967年~1969年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)の港川採石場の石灰岩フィッシャーで実業家・大山盛保によって人骨(上腕骨・尺骨・寬骨・大腿骨2点・脛骨2点・距骨・第1中足骨)の断片が発見された。上部港川人骨と呼ばれている。年代はおよそ1.2万年前と考えられている。
1970年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志堅村)港川採石場で数体の人骨化石が実業家・大山盛保によって発見された。人骨は少なくとも5体をかぞえ、男性2体を含むという。約1.8万年前とされる。縄文時代が約1.3万年前から始まるとされていることから、更新世末及び後期旧石器時代末にあたる。顔は四角く、目は窪み、鼻はやや広く、立体的で頑丈であることなど現代日本人とは全く違っていて、縄文人と似ているところが目立つ。頭蓋では、骨が厚く、前頭骨が小さく、脳頭蓋の下部が幅広いなど独自の特徴でかなり原始的である。また、男性の推定身長は153~155センチメートルで、上半身は華奢であり、かなり小柄である。
[編集] 山下町洞穴人
沖縄県那覇市山下町第一洞穴で、1968年に発見された。約3万2000年前とされる6~7歳の子供の大腿骨と脛骨で、国内では最古級の人骨である。最近の検討によると、初期現代型新人の特徴に一致するという。
その他、沖縄県で発掘され報告されている人骨化石
沖縄県宜野湾市大山洞穴(ぎのわん)
沖縄県国頭郡伊江村真謝カダ原洞穴(くにがみぐんいえそんまじゃかだばる)
沖縄県中頭郡北谷町桃原洞穴(なかがみぐんちゃたんちょうとうばる)
よく確認できました。
[編集] 更新世(洪積世)の人類化石
日本列島は火山列島とも呼ばれるように更新世の火山噴火による火山灰が、瀬戸内、近畿地方を除く日本列島の大部分に降り注いだので骨を分解してしまう酸性土壌の占める地域が多く、旧石器時代の遺跡に人骨・獣骨化石が残る例がほとんどない。こうした中でもこれまで洪積世人類化石として知られていた例も多かった。しかし、C14年代測定法や再検討の結果、それらの多くが洪積世人類化石の地位を失い、静岡県の浜北人と沖縄県の港川人とが更新世人類とされている。
[編集] 浜北人
浜北人は、静岡県浜北市根堅(ねがた)の石灰石採石場で、1960~1962年に発見された頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・寬骨・脛骨)の人骨化石である。上・下二つの地層から出土した。それぞれの層からでた獣骨の年代を加速器質量分析(AMS)法による炭素年代測定での結果は、上層が約1.4万年前、下層出土の脛骨が約1.8万年前を示した。
[編集] 港川人
1967年~1969年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)の港川採石場の石灰岩フィッシャーで実業家・大山盛保によって人骨(上腕骨・尺骨・寬骨・大腿骨2点・脛骨2点・距骨・第1中足骨)の断片が発見された。上部港川人骨と呼ばれている。年代はおよそ1.2万年前と考えられている。
1970年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志堅村)港川採石場で数体の人骨化石が実業家・大山盛保によって発見された。人骨は少なくとも5体をかぞえ、男性2体を含むという。約1.8万年前とされる。縄文時代が約1.3万年前から始まるとされていることから、更新世末及び後期旧石器時代末にあたる。顔は四角く、目は窪み、鼻はやや広く、立体的で頑丈であることなど現代日本人とは全く違っていて、縄文人と似ているところが目立つ。頭蓋では、骨が厚く、前頭骨が小さく、脳頭蓋の下部が幅広いなど独自の特徴でかなり原始的である。また、男性の推定身長は153~155センチメートルで、上半身は華奢であり、かなり小柄である。
[編集] 山下町洞穴人
沖縄県那覇市山下町第一洞穴で、1968年に発見された。約3万2000年前とされる6~7歳の子供の大腿骨と脛骨で、国内では最古級の人骨である。最近の検討によると、初期現代型新人の特徴に一致するという。
その他、沖縄県で発掘され報告されている人骨化石
沖縄県宜野湾市大山洞穴(ぎのわん)
沖縄県国頭郡伊江村真謝カダ原洞穴(くにがみぐんいえそんまじゃかだばる)
沖縄県中頭郡北谷町桃原洞穴(なかがみぐんちゃたんちょうとうばる)
よく確認できました。
— posted by サイト管理者 at 07:03 pm














Comments